12月1日(月) 今日発行「夕刊フジ」の 「ぴいぷる」というコーナーで、 武蔵川部屋出身の 落語家・三遊亭歌武蔵さん(40) が紹介されていた。
武蔵川部屋は1年弱でスカシ (逃げ)たそうだから、 外見は文化会系デブ。
1984年、「三遊亭ちどき」 という芸名で前座に。
1988年、二つ目に 昇進したのを機会に、 「三遊亭歌武蔵」を 名乗るようになる。 (角界での序ノ口にあたる 前座の時から 武蔵川部屋の「武蔵」を名乗る 事は出来なかったのだろう。)
1994年には、 海上自衛隊横須賀隊に入隊。 練習員課程を修業。
・自衛隊 ・刑務所 ・老人ホーム 等での慰問活動も 盛んに行っている。
1998年、その歌武蔵さんは 30歳で真打ちに昇進。 相撲ネタなしで真打ち に昇進したのだから、 古典落語はしっかり 出来る方のはず。
その歌武蔵さん、 最近になって相撲ネタの 「仕度部屋外伝」という 新作落語を披露するようになった。
歌武蔵さんが武蔵川部屋出身 だという事を 知っているお客さんから、 『何で言わないの? 一言話すだけで違うでしょ。』 と言われて、踏ん切りが ついたのだろう。
一昔前の二子山部屋の騒動 北の湖理事長と思われる人物の子供時代の話 八百長報道
特に八百長報道に関する話が面白い。
”あれは決して八百長じゃありません。 興行収入を上げる為の工夫です。”
夕刊フジの取材に対して 歌武蔵さんは、 ”断っておきますが、 あくまでネタであって、 真実ではありません。 じゃあ嘘なのかって? そりゃ、嘘偽りはいけません。 でも誇張ならいいでしょう。”
歌武蔵さんに言わせたら、 ・講談社(週刊現代) ・北の湖前理事長 のどちらも、やぼったいらしい。
相手にせずに黙殺したら、 今頃忘れ去られている話だからな。
昔は、 ”「あの人達は書かなきゃ オマンマを食えないんだから。」 といなしてましたから。” と、歌武蔵さんは語る。
北の湖前理事長のケツの穴が 小さかったという所か?
現在、この「仕度部屋外伝」が、 歌武蔵さんのキラーコンテンツ になっている。 過激すぎてテレビでは 放送不可能だが、 本質を突いた新作落語。 これは直に高座を 聴きにいくしかない。
歌武蔵さんが 部屋を脱走した後、 武蔵川親方(元横綱・三重ノ海) は三遊亭圓歌さんに、 『もし、あいつが行ったら、 宜しくお願いします。』 と頼んでくれていたらしい。
一度故郷に戻った歌武蔵さんは、 噺家になる事に反対の親から 勘当されるのを覚悟の上で上京。 三遊亭圓歌さんに 弟子入りを直談判。 一度は弟子入りを断られるも、 一年後にようやく 弟子入りさせてもらった。
1年弱しかいなかった 弟子の高座を、 今でもたまに聴きに行く 武蔵川親方。 角界の人格者は、やる事も粋です。
さすがに武蔵川親方の前では、 「仕度部屋外伝」は やらないそうです。
12月2日(火) 「goo ランキング」で、 印象に残る「スラムダンク」 の名ゼリフランキング というのを発表していた。 http://ranking.goo.ne.jp/ranking/026/slamdunk_word/
桜木花道が主役の話ですが、 「SLAM DUNK」の名台詞と言えば、 安西先生の 『あきらめたら、 そこで試合終了だよ。』 は外せないでしょう。
この台詞が第1位。 当然だな、フン!
ミッチーは、 中学3年の時から 神奈川県では注目される プレイヤーで、 この頃から3ポイント シュートを得意としていた。
ミッチーが出場していた ある試合に、 陵南の田岡監督 湘北の安西監督 が招待されていた。
ミッチーのいる 中学チームも健闘していたが、 相手チームにややおされていた。
残り時間が少なくなり、 ボールを生かそうとした ミッチーは、 コート外に出ようとした ボールを体をはって コート内に戻そうとしたが、 招待されている監督さん達 のいるテーブルに 激突してしまう。
ボール共々、コートの外 に出てしまうミッチー。
”もう駄目か・・・” と思い始めていた ミッチーの前に立ち、 ボールを手渡す安西先生。 そして一言、ミッチーに 『あきらめたら、 そこで試合終了だよ。』 と話しかける。
安西先生の言葉で 気持ちを立て直した ミッチーは 果敢にシュートを狙い、 ミッチーのいる 中学チームは逆転勝ちする。
田岡監督は早くから、 三井寿に注目していた。 後に三井を陵南バスケ部 に勧誘したが、 ミッチーは安西先生がいる 湘北へ入学してしまう。
田岡監督が安西先生に 敗れた瞬間であった。
「ホワイトヘアーデビル」 と呼ばれた頃の 大学バスケットボールでの 安西先生の指導者としての 実績はともかく、 高校バスケットボールの指導者 として自分が劣っているとは 思っていない田岡は、三井と 流川のスカウトに失敗した事を、 他の選手(魚住、仙道等)を 育てて日本一のチームを作る事で 優れてた指導者である事も 証明しようとする。 (勿論、選手達の事を第一に 考えているだろうが。)
第2位のミッチーの名台詞、 『安西先生… バスケがしたいです。』 も忘れてはならない。
湘北1年の時、怪我をした 直後に無理してプレイ。 (安西先生に認めてもらいたい という思いからだった のだろうか?) その結果、再度負傷して 長期間離脱してしまう。
自分がチームから 離れている間に赤木が レギュラーになり、 他の選手も活躍している 様子を見て、自暴自棄 になってしまう。
この間、安西先生は 三井を呼び戻す事はせず、 ずっと遠くから見守って いたのだろう。 (原作では描かれていない 部分だが、私はそう 思っています。)
湘北3年の時、 三井は不良になって 体育館のコート内に 入ってくる。
花道、流川、リョーチン、 桜木軍団の四人と、 不良グループ達との 乱闘があってから、 『私です、入りますよ。』 (だったかな?) と言い、他の先生方を制止し、 一人だけで入ってくる 白っぽいややクリーム色の セーターを着た安西先生。 (原作漫画では色まで 分からないが、 TVアニメーション版 ではそうでした。)
コート内にいる ミッチーを見て一言、 『三井君・・・』
中学3年のあの試合の時 からの自分の行動を思い出し、 泣き出すミッチー。
安西先生に、 『安西先生…バスケがしたいです。』 とだけ述べ、 崩れ落ちるミッチー。
乱闘騒ぎを他の先生方も 納得するように納めて、 ミッチーの復帰を認める 安西先生。 この部分も原作では 描かれていないが、 それは読者が解釈して くれたらいい部分だと思って、 作者が省略したのだろう。
安西先生がかなりの 肥満体という事で、 三井×安西本とかは 殆ど作られなかったが、 安西先生と三井寿の師弟愛は、 軽々しく描けるものではない と信じたい。
そういう部分が、 多くの読者の心に 深く響いたのだろう。
私の心の恩師も、 安西先生です。 バスケットボールは、 高校の体育の授業で やったのが最後ですが。
「スラムダンク」だと 「goo ランキング」でも つい反応してしまいます。
私としては、田岡監督や 海南台付属監督の台詞も もっと高く評価して もらいたいです。
『湘北の不安要素 その1』 では印象には残らないけど。
12月3日(水) 朝、「みまもり隊」 という腕章を付けた 熟年世代の方々を 何人か見かけた。
小学校に通う 児童の登校を 見守るらしい。 不純な動機を持った人 には務まらない任務だ。
長期間の休みもあるが、 一年を通しての 大変なボランティア活動 だと思う。
12月4日(木) 力仕事をして疲れる。
夕食を取らずに寝る。
12月5日(金) 久し振りにこの雑記を、 11月分まで更新する。
文字サイズが小さいのは 許して下さい。 サイズ変更する時間が なかったのです。
12月6日(土) 映画「ゴジラVS.ビオランテ」 を見ながら、12月分の 雑記を入力する。
「ゴジラVS.ビオランテ」 では、映画「ゴジラの逆襲」 で被害を受けた大阪が、 また襲われる。
大阪市役所付近が燃えている。
ゴジラは淀屋橋付近が好きなのか? 橋下大阪府知事と同様に、 中之島が水の回廊になる 可能性があると思って、 事前に破壊してくれたのか?
大阪ビジネスパークにある 「ツイン21」が破壊される。
「ゴジラの逆襲」の時に アンギラスとの戦いで 大阪城を破壊したから、 今度は松下電器産業 (現 パナソニック) の象徴「ツイン21」を破壊か。
建物は松下興産所有だったが、 私には今もパナソニックの オーロラビジョンが印象に 残っている。
先の戦いで酷い損傷を受けた 陸上自衛隊の「スーパーX2」 は、守りに来てはくれなかった。
「ゴジラVS.ビオランテ」 では、線で描写した しょぼいCGが何度も出てくる。
これ、当時としては最新の コンピューター・グラフィックス を使用していたのだろうな。
人間ドラマの部分が 優れている分、そういう細かい 所に目がいってしまうのだ。
テレビに出演する芸能人 として少しだけ登場する デーモン小暮閣下。
大阪城ホールでコンサート をしているという設定で 声だけ出演の斉藤由貴。
所々、有名な芸能人を 配置したいという東宝の 狙いは、この頃から 始まっていたのだろうか。
そのおかげで、映画 「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」では とんぼ繋がりで、 極楽とんぼの二人が 地元の警察官役で 出演出来たのだが。
当時はまだ、山本圭一さんが 未成年と何かやらかす前だった。 「ゴジラ×メガギラス」の放送 をきっかけに、問題となった 未成年(当時)と和解した 山本圭一さんが芸能界に 復帰する事はあり得るの だろうか?
映画「ゴジラVS.キングギドラ」 では、前作に引き続き小高恵美 が超能力少女・あすか役で 出演している。
第2回東宝シンデレラガール として、何らかの役を与えて おこうという東宝の狙いが あったのだろうか。
私は実写ドラマ 「花のあすか組」苦楽あすか役 を演じた小高恵美さんが好き だったので、平成ゴジラの VSシリーズに出演し続ける 事は、趣味の観点からは 歓迎していました。
シリーズ上、本当に 必要だった役かどうかは 見解が分かれる所 でしょうが。
12月7日(日) 円谷プロでは1995年に 三代目社長(円谷英二氏の次男) が社長を退任してから十余年 で5回、社長が交代。 (セクハラ裁判を起こされての 社長交代を含むものと思われる。)
そういう同族経営の狭間で 不運だったのが、高野宏一氏。
高野氏は昭和のゴジラシリーズ などに撮影助手として参加し、 「ミラーマン」の頃から 特殊光学で活躍。 円谷英二氏を支えてきた 高野氏は、円谷プロの専務に。 しかし、2003年1月の 臨時取締役会で、 当時の社長が前専務の 高野宏一氏を含む取締役6人 の辞表を受理。
高野宏一氏は、 某おもちゃ会社会長の乗っ取り 計画に協力したとして負債の 責任を負わされ、退職金なし。 銀行から借り入れ 出来なかったから、 某おもちゃ会社から 2億円借りたのに。
退職金支払い裁判も 起こされましたが、 その判決の結果までは 分からないです。
今週、その高野宏一氏の 訃報が届いた。 11月30日、肺疾患で 逝去(享年73歳)。 葬儀は、近親者のみで 行ったそうです。
長年尽くした会社から 追われるように去っていった 高野氏。 我々も責任を取るから、 社長を辞任させようとしての 辞表提出だったのに。
近年、円谷プロの経営は まともに戻ったそうだから、 今は高野氏が参加していた 作品の思い出と共に、 ご冥福を祈りたいです。
12月8日(月) 一ヵ月半位前、 円谷プロダクションの 大岡新一副社長(61) が社長に昇格する人事を 固めたという報道があった。
森島恒行社長(63)は 退任するらしい。
円谷プロは昨年10月、 映像制作会社TYO (ティー・ワイ・オー) の実質子会社になって、 会社の立て直しを進めていた。 (その際、TYOの代表が CGをバンバン使って、 金がかかるミニチュアはなるべく 使わない様にするという 趣旨の発言をし、一部特撮ファン から反発を買ったのは、 記憶に新しい。)
森島社長体制 になってからの一年、 ・不採算事業からの撤退 ・人員削減 ・固定資産税の売却 等で、財務内容を改善。
有利子負債は、30億円から 19億円までに減らす事に成功。
経営再建のメドが ついたとして、 10月末の株主総会後の 取締役会を経て、 制作本部長出身の大岡氏が 社長に就任するらしい。 http://m-78.jp/profile/
もう就任しているね。
TYOの実質子会社 になってから、 円谷プロはまともな 会社に戻ったのね。
現場経験者である 大岡氏体制に変わっても、 ミニチュアとCGを 併用した作品作りは 変えないでもらいたい。
ニコニコ動画の企業による 公式チャンネル 「ニコニコチャンネル」への参加 も、新しい取り組みなのだろう。
あと東宝ビルドだったかな。 東宝の敷地内にあった 円谷プロの倉庫は 引き払ったそうだけど、 倉庫内の着ぐるみ、ミニチュアは どこかで展示したり しないのだろうか?
ああいうのも財産だと思うが。
12月9日(火) 人並みに忙しい 日々を過ごしています。
12月10日(水) 今日から15〜17歳の人を 大手SNS(ソーシャル ネットワーキングシステム) の「mixi」へ、 招待可能になった。
18歳以上の方が 未成年者を引き込む と思われがちだが、 クラブの先輩が後輩を 招待するといった 純粋な広がりの方が 多い様に感じる。
18歳以上という制約 があった頃から年齢を 偽って招待されていた 方々もいたから、 「mixi」へはそこそこ 招待されるのだろう。
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